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夫婦で考えるキャリア(アラサー大黒柱ママの場合)

転職は一人で完結できないこともある

ワタクシ、ちむ子が『転職は自分一人だけの問題ではない』と感じたのは、26歳の頃だった。

今振り返ると、そのように感じます。

2024年、32歳の厄年を迎える私は、時短勤務で家事・育児を取り仕切ってくれている主人、そして3歳のおてんば息子と共に日々を生活しており、その暮らしを支える大黒柱という役を担当。

主人は時短、私はフルタイム。
一家の大黒柱。
ベンチャー企業で活躍中。

ここら辺の情報を第三者へ伝えると「すごーい!」「バリキャリだね~!」なんてお言葉を頂けることもあるのですが、全くすごくはなく、バリキャリでもありません。

もし私が男性だとすれば、30代前半の平均的な年収で、妻の稼ぎがあるから、たまに外食へ行っても破産せずに済む。

……くらいのレベル感の暮らし。
”女性” ”母” という要素が加わると、なんだかすごい感が溢れますが、「仕事をするくらいなら早く帰って美味しい夕飯を作り、息子と過ごしたい」と言ってくれる優秀な主人と出会えたからこそ、成り立つ生活。

ただ、この家族のカタチが作りあげられるまでには、やはり幾度もの相談、挑戦、調整が繰り返されています。

今回は、そんなちむこ家が夫婦で考えたキャリアについて、語らせていただければと思います。

3分で語るちむ子の職務経歴

まずは、駆け足で私のキャリアをさらさらっと説明すると、高校時代に進学校へ行ったはずが、グラフィックデザイナーに私はなる!と言い出し、専門学校へ進学。

企画力では評価されるものの、デザインセンスは中の下。

当たり前のようにデザイナーとしては採用されず、せめて広告業界へ……と考え、入社したのがリクルートの求人広告代理店でした。

その頃、私が従事していた業務は、求人広告を制作するクリエイティブ職ではあるものの、デザインというよりは求人広告のライティングが中心。

内製業務のみだったため、対外的なコミュニケーション力が自分にはないこと、加えて転職をしたことがないのに中途採用媒体を書くことに違和感を感じ、約2年半の経験を経て1回目の転職をします。(当時は、とらばーゆ、はたらいく、リクナビNEXT、タウンワーク、フロムエーナビなんかの広告を作っていました)

求人広告は、会社によって制作スタイルが大きく異なります。
私のいた1社目の会社のように、営業がヒアリングした内容を元に制作するスタイルもあれば、企業への取材を経て記事を書き上げる形もあるのです。

1回目の転職は、ざっくり言えば『取材をする力をつけたい!』という想いが大きく、とりあえず営業をやっていれば、コミュニケーション力がついたと言えるだろう……という大雑把な考えで、フリーマガジンの出版を行う小さな会社へ営業として入社を果たします。(この頃の私には、いつか取材を行う求人広告代理店へもう一度入社し、立派な制作者になるぞ!という野望がありました)

2社目で半年以上経験を積んだ頃、フリーマガジンの広告営業をしながら、なかなか面白味を見出しきれず、まだ早い気もするけど人材業界に戻りたい~っと、早速、知り合いのエージェントにヘルプを出します。

実は1社目の求人広告代理店では、別事業部で人材紹介のサービスを提供していたのです。

人材紹介事業部の皆さんとは、転職後もよく飲みに行っており、私のことをよく知ってくれている人たちばかりだったので、『取材ができる制作として働きたい!』と伝えた所、速攻で株式会社マイナビを紹介され、入社をする運びとなりました。

夫婦キャリア第一回(26歳で大黒柱を意識?)

2016年に株式会社マイナビへ入社。
2018年で課長職へキャリアアップ後、愛知県の中でも三河エリアと呼ばれる、自動車産業が盛んな地方の営業所へ異動。

このタイミングでプライベートでは、現主人と同棲を始めます。

一応、お互いの親へ挨拶に行き「結婚を前提とした同棲を始めます」と宣言していたため、基本的に何かを決める時には結婚前提で物事を進めるようになっていました。

ここで、第一回目の夫婦でキャリアを考えるタイミングが発生したのです。(厳密に言えば、この頃はパートナーですが……)

同棲を始めて数ヶ月経った頃でした。
現主人(当時は彼氏)が、「転職をした方がいい気がする」と言い出します。

けれど彼が、この悩みを言い出すのは、この時が初めてではありません。

彼は、収入が低い、時には夜中まで業務が発生する、そんな映像制作ディレクターという職に就いており、こんな状態では結婚ができないと1年ほど前から悩んでいたのです。

だからといって、転職活動を具体的に進める気力はなく、ただ悶々と悩み続ける毎日。

それが当時の彼の状態でした。

私もこれまでは、知り合いのエージェントを紹介してみたり、どんなキャリアを築きたいのか都度、相談に乗っていたのですが、乗った所で転職活動を始めない彼に、苛立ちを募らせていたのも本音です。

ついに、某月某日、私はブチギレました。

★ちむ子
「転職をした方がいいと思うのはなぜ?」
■主人 
「収入も低いし、環境も良くないし……」
★ちむ子
「今の収入のままで問題になることは、具体的には何だと思う?」
■主人
「自分一人ならいいけど、結婚したら家族を養えないし……」
★ちむ子
「ちなみに私は、あなたに家族を養ってほしいってお願いしたっけ?」
■主人
「……え?いや、頼まれてはいないけど、そういうものじゃない……?」
★ちむ子
「私は仕事が好きだから、この先ずっと、できれば働き続けたいと思っていて、二人で働けば収入面の問題はカバーできると思うんだけど、そのことについてはどう思う?」
■主人
「いやまぁ、それはそうだけど……。それは俺の甘えというか……」
★ちむ子
「甘えって何?男は絶対、家族を養わなきゃいけないの?そんな決まりはないけど。っていうか、その前に私の考え、気持ちについて確認してくれたことある?確認してくれれば、解決策を一緒に導き出せるよね。いや、ってかそんなに養いたいと思うなら、そもそも1社くらい応募してみろや!!!(ここで完全にヒートアップ)」
■主人
「ちょっと一旦、煙草を吸いにいかせてください……」

夫婦キャリア第一回目 当時のリアルな会話

養いたい主人、養われることを望んでいない私の考えは、どちらも正しいと思います。
ただお互いの考え、気持ちを伝えあい、整理することで、優先順位が明確になっていくと思うのです。

この時の目下の課題は【主人の収入が低いことを転職で解決したい】ということ。
ただ【家族を養うには収入が低い】だけをカバーできれば良いのなら、私が働くという選択肢によって、転職をする必要はなくなります。

そもそもこの課題が、私の存在(結婚)によって生まれるのであれば、私と一緒に相談して解決へ導くべきだと思いました。
自分一人の問題として考え、行動できずにいる主人に対して、行動派の私はモヤモヤと苛立ちが溜まり、最終的には爆発してしまったのです。(怒る時、口が悪くなるクセは本当に反省点)

とはいえ、ブチギレつつも『私が大黒柱になるのもアリだな』と自分の中の新しい気持ちに気づけたことは、怪我の功名とでも言いますか……良かったことだったような気がします。

夫婦キャリア第二回(キャリアか?出産か?)

2020年、新型コロナウイルスが世界で流行した頃、新婚旅行を終え、私たちは夫婦として次のステップを考え始めていました。

それは、子どもを産む、という選択です。
なんとなく、妊活を始めてはいるものの、嫌ではないはずなのに、言語化できない不安や不透明なモヤモヤがお腹の中にずっと溜まっているような、そんな気持ち悪さを感じていました。

当時マイナビでは入社5年目。
リクルートの求人広告代理店時代を含めれば、7年以上の経験を人材業界で積み重ねていることになります。

『もし今、自分が全く新しい環境に放り出された時、どこまで通用するのだろう?……試してみたい』

そんな挑戦欲が湧き出ていて、だけどそうなると、出産は少し先になってしまう。
今、子どもができたと分かったら、手放しで喜べないかもしれないと思ったら、私はなんて自分勝手な人間なのだろう、と知らず知らず自分を責めるようになっていました。

妊活から約4ヶ月後、私は主人へ尋ねました。

★ちむ子
「実は、転職して新しい環境で自分を試したいと思うのだけど、そうすると出産はさらに先になると思う。産休育休制度の整った今の会社に残って子どもを産むか、新しいキャリアを積むか、悩んでるのだけど、どう思う?」
■主人
「ちむ子が一番、叶えたいことを優先してほしいと思っているけど、俺はいつか子どもが欲しいと思っている。ガチャガチャが好きな君と子どもが並んでいる姿を想像すると、とても楽しそうだと感じるんだ」

夫婦キャリア第二回目 当時のリアルな会話

この時、思わず涙が溢れてしまいました。
私は自分のことばかり考えて、家族のことを全く考えていないじゃないかと、改めて自分のことを勝手な人間だと思い、自責の念で涙が出たのです。

■主人
「俺の望みだけ伝えていいのなら、いつか産休育休を取って子どもを育てるために、今の会社に残ってほしい」

夫婦キャリア第二回目 当時のリアルな主人の台詞

この言葉で私は、明確になっていない次のキャリアを目指すのではなく、夫婦二人が望む出産に向けて頑張っていこうと決意したのです。

気持ちの問題が大きかったのか、この決意をした翌月に妊娠をして、めでたく息子を授かることになりました。

夫婦キャリア第三回(出産後の挑戦は可能?)

出産予定の2ヶ月前まで通常通り勤務して、2021年、ついに私は3000gを超えるビックベイビーを出産。

出産後は1年3ヵ月の間、育児休暇を取得したため、ブランク期間は約1年半でした。
保育園へ無事、入園が決まり、2022年5月からマイナビの制作課長として復帰を果たします。

育休中は家族のため『マイナビに骨を埋める所存!』と覚悟を決めていたのですが『やっぱり新しい挑戦をしたい……転職をすべきなのではないか……』と同じモヤモヤを抱え出します。

そして、同じことで悩み続けて行動できない自分に、苛立ちを募らせていました。
そんな私に、マイナビから既に旅立ち起業した現社長からお呼びの声がかかったのは、まさにグッドタイミング。

とはいえ『ベンチャー企業に転職するのって、家族がいる今となってはアリなの?』という不安がありました。

★ちむ子
「実は起業した元マイナビの人から、うちの会社に来ないかとお声がけいただいて、私としては挑戦してみたいんだけど、どう思う?」
■主人
「いいじゃん!自分がやってみたいなら、転職したらいいよ。お金のことはなんとかなる。それよりも今、ちむ子が悩んでモヤモヤし続けていることの方が問題だと思う」

夫婦キャリア第三回目 当時のリアルな会話

私は主人の言葉に心が晴れたような気持ちになりました。
よくよく自分のことを思い返せば、私が幸せを感じる瞬間は、30円の豆腐ではなく、豆の味を実感できる200円の豆腐を買える時だったり、2000円分思いっきりガチャガチャができる時だったりします。

この幸せを保つこと、そして何より生活できるだけの費用を稼ぐことを目標にするのなら、ベンチャー企業へ移ったとしても達成できる。
そして万が一、また転職が必要になったとしても、自信を持って前に進めるだけの経験やスキルを養っておけば、問題ないだろう。

『こんな頼もしい家族といれば、きっと大丈夫』

そんな漠然とした自信を抱くことができたのです。

過去を振り返って

振り返ってみれば、主人の支えや私にかけてくれた言葉、たくさんのご縁に恵まれて今の生活を送れているのだと、感謝の気持ちで一杯です。

そして夫婦でキャリアを考えることは、そうしなければいけないというより、パートナーと考えることが、自分で知らず知らずのうちに蓋をしていた可能性に気づかされるキッカケになる気がするのです。

夫婦キャリア第四回がいつか開かれた時には、お互い前に進むための一歩を支え合える、そんな話ができればいいなと思う今日この頃です。


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