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ウンチ事件からアラサーワーママが導き出した自由の意味とキャリアの話

2024年現在、私の息子は3歳半を迎えています。
よって私自身も母歴3年半という計算。

この3年半の期間、私が最も向き合ったのは「自由」という概念だと思うのです。

自由とは、私の中で”何にも縛られない状態”のことだと思っていました。例えばそう、”あ、今からちょっくら酒でもひっかけようかしら”と思った途端に上着を羽織って外に飛び出すような。

憧れを語るのならば、”あ、なんだか私には異国の空気が合うようだわ。ちょっくらパスポートを持って、自分探しの旅に出ようかしら”なんて破天荒さを感じる自由。

現実はところがどっこい。

『私、一人っ子だから、親に心配かけてしまうし』
『社会人として真面目に働かないといけないし』
『海外とか新しい世界へ飛び出すってなんだか怖いし』

だしだしだしだし言いながら、あっという間に時は過ぎ、たいした自由を手にすることのないまま、結婚して息子を授かりました。そんな、のんべんだらりな私の元から、中規模の自由が奪われたのです。

そう、これは我が息子が0歳の時のこと。

ヤツは待ってくれない

0歳児の子育ては日々、子ども中心に世界が回っていたように思います。
ツライっぺなぁ、と出身地とは異なる土地の方言が自然と口から溢れてしまうくらいには、当時の私は疲労に包まれていました。

不自由な日々でなにが困るのか。そう、私の場合は大便を好きな時にできないことだったのです。

ちょっとしたことで下してしまう私のお腹。新婚旅行のハワイへ行く前には、ウエディングドレスを選ぶよりも熱心に、観光地やお土産の情報を探すよりも時間をかけて、トイレの位置を調べ、頭にインプットしました。

日常でも、よく使う路線の各駅でトイレがどこにあるかを覚え、緊急事態が起こった際に、慌てず行動できるように(走ってすぐにトイレに駆け込めるように)心掛けています。

授乳タイムにヤツはやってくる

これほどに、自らのお腹様におうかがいをたてながら生きている私が、子どもを中心に生きはじめたわけなのだから、当然、お腹様はご立腹でした。(お腹だけに)

お腹様の嫉妬に違いないと、私が特に感じる理由となった事象は、当時「なぜか授乳のタイミングでお腹が痛みはじめる」という謎の腹痛に苛まれていたこと。例えば、こんな具合に。

早朝、授乳を始めて数分経った頃に、シクシクお腹が痛み始める。いやいやまだ右だからと根性で我慢する。ちょうど我が子もいい感じでゴクゴクと喉を潤しているようだ。あと3分くらいで左へ移行できる。大丈夫、大丈夫、大丈夫、だいじょ…ばないぞ…イテテテテテテ。

ヤツは待ってはくれない。私のお腹様はご立腹が故に自由きままだ。

『私、母になったの。子育てに必死なの!』

こう、訴えたことが何度あっただろうか。
しかしお腹様は「は?俺には関係ねぇし。生理現象だし」なんて全く取り合ってはくれず、私をトイレまで走らせるのだ。

約3年前にあった”ちむ子の実話”エピソード

汚い話で恐縮です

※注
この段落は、非常にお下品かつ、くだらない話なので読み飛ばしていただいて大丈夫です。特に食事の前、最中などに読む話ではありません。それでも、ついていくぜベイベー!という寛容なあなたへ捧げます。


当時、自由にトイレへ行けなかったせいで、ちょっとした事件が起こりました。そう、先ほどのエピソードには続きがあったのです。

私はお腹が痛くて堪らず授乳を一旦、切り上げた。全神経を集中させてベビーベッドに我が子を連れて行く。そしてトイレへダッシュした。

結果、便秘気味の方には申し訳ないほど私のお腹はスッキリ。だが我が子の『まだ腹が減ってんねんー!』と泣き叫ぶ声が聞こえる。(実際は言葉を発せないけど、多分そう)そそくさとお尻を拭いて、私は大の方へレバーを回した。

流れない。

厳密に言うと、ヤツの一部が流れない。ぜんぜんソコにいる。タンクに水が貯まるのを待って、もう一度、レバーを大の方へ回す。

流れない。

水の勢いがヤツに負けた。完敗だ。これは流すのにちょっと手間取るタイプのヤツだ。いやでも、もう一度……。

流れない。

とりあえず私はヤツを残し、泣き叫ぶ我が子の元に戻った。そして、授乳をしながら『トイレに居座るヤツは、はたして私の目の前からちゃんと消えてくれるのだろうか』とソワソワしていた。

”ちむ子の実話”エピソード続編

心配をしてくださった皆さま。大丈夫。この後、無事にヤツはトイレの奥底へと流れていきました。不安にさせてしまい申し訳ありませんでした。

ただ、この出来事は私にとって『自由がなくなった』と深く実感するのに充分すぎる事件となったのです。


取り戻す日々

自分の勝手な考えに、
会社に、
社会に、
他人の意見に、

なんだか縛られているような心持ちで、自由だなんて考えもしなかった20代。あの頃私は実のところ、十二分に自由を享受していたのでしょう。その証拠に、心のどこかで何だってできるような、時間は無限に広がっているような、そんな楽観的な一面も持ち合わせていたから。

トイレでヤツが流せなかった時、初めて時間は有限で、自由は貴重だと、当たり前のことに気づいたのです。

育休中、私は焦燥感に包まれました。
急に泥棒に時間を盗まれて、僅かな時の中でやりたい事をすべて終えなければいけないような、切迫感に包まれた事を今でも覚えています。

子どもが育ち、自分の時間が少し増えて、周りに感謝する余裕が生まれた時、心のバランスが整い始めました。

復職して、子どもとの時間がかけがえのないものとなった時、仕事と家族のバランスを考え始めました。

毎日を振り返った時、ワクワクする時間を増やそうと考えて、ベンチャー企業への転職を決意しました。

子どもを産むことに限った話ではありませんが、これまでの生活がガラリと変わった瞬間、当たり前が崩れて、自分のリズムを習得するまでに、結構な時間を要するのだと、出産を機に身を持って体験したのです。

自由から考えるキャリア

社会のルールから切り離し、家族のことも考えず、今の会社への影響もそっちのけで、自分勝手に考えることって意外と難しい。

キャリアにおいては特にそう。

自由の概念からいきなりキャリアについて語り出したぞ、と私の突拍子の無さに驚いたことと思われますが、いやいや実に密着した話だと思うのです。

1日のうち実働時間は8時間、週7日のうち5日が労働に充てられています。(もちろん、そうでない人もいらっしゃいますが)

計算すると週40時間は自由ではないということ。(残業があればもっと!)

ということはですよ、その自由ではない時間をどんな仕事に費やすか『考えること』くらいは自由で良くないかなぁと思うのです。

一旦、自分の役割は置いておいて、自由に考える。

当然、自由過ぎて実現不可能だったりもするので、その後、条件を洗い出し、何を叶えて、何を諦めるべきか探っていく。

「お母さんなのに、仕事優先でいいの?」

誰にも言われていないのに、耳元で囁かれているような気がして、自由に考えることを諦めかけた瞬間もありました。

諦める必要もあるでしょう。

だけど、ぜんぶじゃなくていい。
自由に考えたことの中で、たった一つでもいいから願いを叶えられる選択ができること。

私にとっては”ベンチャー企業への転職”が、今のところ人生において自分で選んだ最高のワガママで、最良の選択だったと思います。

自由は人によって、時間の長さも、規模のデカさも、種類も、できることの範囲もきっと違うでしょう。ただ個々の自由の枠の中でくらい、ノビノビと羽を広げられたらいい。

私はヤツが流れなかったあの時を境に、自由の世界に飛び込んで、できる限り高く飛ぼうと羽をばたつかせているのです。

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